衆議院千葉県第13区

子ども・子育てマニフェスト

民主主義と安全保障のクロスロード

20150915

-詰めるつもりのない安保関連法案のねらい-

前衆議院議員 若井やすひこ

 安全保障関連法案の審議が最終段階を迎えている。安倍総理は「国民の理解はまだ十分でない」と認めながら「決める時は決める」と言っている。国会周辺に連日集まり、訴え続けている何万人もの国民の声を一切黙殺し、今週中にも採決を強行する構えで、いわゆる60日ルールを使うことも否定していない。14日の参議院では片山虎之助議員(維新)が「大詰めの質問」などと口走る始末、すっかり腰が浮いてしまっている。
  
 審議時間に反比例する「国民の理解」の不思議
 国会で「決める時」とは議論が煮詰まった時の外はない。この間の安保関連法案、衆議院で審議の始まった6月以来、審議時間だけは衆議院116時間、参議院80時間余と、両院合わせて200時間余り、11本の法案が束になってはいるが、時間だけは確かに過ぎた。
 しかし、いくら質疑を重ねても内容が詰まったとは言えない。時間の経過に連れて国民の理解が進むどころか、むしろ不安と不信が深まるばかりだ。質疑の度に政府の答弁が右往左往し、法案自体の具体的内容や方針、集団的自衛権の行使基準が明確でないなどの事実が次々と露呈している。これではいくら時間をかけても合意に至るどころか、国民の理解などできるはずがない。
 時代を画する重大な法案である。政府の言う通り、わが国を取り巻く周辺環境は激変している。これに的確に、敏速に対応できる備えを確立すべき時だ。「国民のいのちと暮らしを守る」との建前に異論はないが、だからこそ、後顧の憂いを残さぬ明快な議論が尽くされねばならない。にもかかわらず「熟議」の掛け声とは正反対に、議論するほどに疑念は強まり、法案反対の声が大きくなるばかりだ。

地球規模の自衛隊の運用、時の政権の裁量の余地
 なぜか?この事態、詰まるところ、この法案にはもともと明快なひとつの筋道が通っていない、通そうとしていない、そのことに起因しているとしか考えようがない。その都度、言を左右にして場当たり的な答弁を繰り返す関係閣僚の姿勢はそのことを物語っている。当初、少なからぬ国民が直感したように、この法案にはもともと、いくら質疑を重ねても詰まるはずのないゆるゆるの組立て、構造が前もって仕組まれていた。
 すなわち、ここに至って、安倍政権の本当のねらいが明らかになってきた。この拡散し続ける審議の状況こそ、時の政権が恣意的に憲法解釈を変更し、地球規模で自衛隊を自在に運用するためのステップではないか。立論の根拠とする新三要件自体にも疑義が残る。一番の柱である「存立危機事態」とは何か、極めて曖昧、極めて恣意的だ。その「総合的判断」には政権が好きなように事態を解釈できる余地を残している。

恣意的な憲法解釈変更、議会制民主主義の曲がり角
 国会の関与も「後の祭り」になりかねない曖昧さを残し、政権の暴走を止める歯止めはどこにもない。形式的に時間だけはかける。国民の理解も合意も形成されないまま、最後は結局、多数によって採決し、押し切る。形式的と言われようが言われまいが、選挙によって形成された議会が決める、民主主義の手続きに何か瑕疵があるか、というわけである。
 この流れの中で、自由裁量を獲得することこそ安倍政権の究極のねらいであり、それが正に実現する瀬戸際にさしかかっている。この危険な流れに歯止めがあるとすれば、正にそれが憲法であるはずだ。私も憲法の一字一句に未来永劫、指を触れてはならないという立場ではない。だが、それにしても今日の政権のごとく憲政の根本を相対化し、その基本を有名無実化しようという傲岸かつ危険な試みには、断固としてノーを突きつけるべき時、あるべき安全保障のあり方についてじっくりと腰の座った議論に時間をかけるべき時だ。
 残すところ僅かとなった今国会の一日一日から目が離せない。精一杯、声を上げていきたい。